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世界一無能な日本の財務省 [転載禁止]©2ch.net

419 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2015/11/27(金) 01:09:44.36
日経ビジネス 2015年9月14日号
戦後70年の日本経済−4−
膨張と崩壊に3つの原因 危機管理力なお課題に
1980年代バブルの謎
ttp://business.nikkeibp.co.jp/atcl/NBD/15/262664/090700025/

 日銀は、89年5月から1年半で5回の利上げに踏み切り、公定歩合を6%まで押し上げた。89年12月に総裁に就任
した三重野康が「平成の鬼平」と、もてはやされたのはこの時だ。
 ところが、政府はこの時、致命的な政策ミスを犯す。日銀が利上げを続けるさなかの90年3月、金融機関から
不動産会社に対する融資の総量を規制し始めたのである。「利上げより融資規制の方が地価下落に明らかに効果
を表す(ドイツ証券不動産担当アナリスト、大谷洋司)と分かっての策だ。
 株価は、利上げで90年代初めから下げ始めていたが、地価は約1年持ちこたえた。利上げと同時に行うマネーの
絞り込みは、粘る地下を最終的にたたき落とす政策に等しかった。
 だが、この時、企業が保有する株式と不動産という資産価格は下落しても、その購入のために積み上げた負債は
減らないという問題がやがてバランスシート不況につながると予測した「財務省幹部はいなかった」(ある局長経験者)。
それどころか、経済予測のプロである日銀調査統計局の局長にこの後すぐに就く賀来景英も「想像していなかった」と
話す。
 この当時の財務省、日銀には「事実上、バブルをソフトランディングさせるノウハウはなかった」(当時の財務省
銀行局幹部)のである。
 一方、米連邦準備理事会(FRB)の議長だったアラン・グリーンスパンは、任期1期目の88年に自らを選任した
大統領、ロナルド・レーガンが後任を選ぶ大統領選前に景気を押し上げようと利下げを求めたが応じなかった。
金利は10%近くに達したが、89年に景気が悪化し始めると、即座に引き下げ、さらに状況を見ながら小刻みに続けて
ショックを和らげた。この後、グリーンスパンは「資産価格の変動は金融システムに大きな影響をもたらす。対策は
早ければ早いほどいい」と述べている。
 日本はその後、大手銀行子会社の住宅金融専門会社が、不動産会社への融資などで巨額の不良債権を抱え、
金融システムを揺るがした。しかし、当初は「大蔵省に住専への検査権限すらなかった」(当時銀行局長だった
寺島信行)ため、また後手に回った。

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